ゴール設定

3.徒手療法による介入で改善のみられない患者のゴール設定

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クリニカルリーズニングシリーズ5徒手療法におけるゴール設定前回記事では、ゴールとしているものが実在している事を把握した上での、ゴール設定を解説しました。この場合は、ゴールとしているものが、共通理解にしやすい為、徒手療法による介入の向かっている先がブレる可能性を排除できます。

このブレるというものの代表的なものには、「治すために通院」していたはずなのに、「治療を受けるために通院」するというように患者の治療に対する意識が変化していく事が挙げられます。

治療経過を通して、この問題が起こっている事に気づくのは、治療開始から数回を過ぎて治療開始時期と言えない期間に達している時だと思います。ですので今回の記事は、治療が開始されて中盤を過ぎた時期でのゴール設定とさせて頂きます。

 

理学療法士による徒手療法を用いた介入は手段であって目的ではありません。

しかし、いつの間にか、理学療法士に触ってもらうというのが目的になってしまっている場合は、誰しも少なからずあるかと思います。これに気付かなければ、治療行為が手段ではなくなってしまい、いつの間にか「一生治療を受ける事」が目的になってしまいかねません。

特にこういった状態になってしまいやすい患者というのは、別の病院で治療を受けたが改善がみられず病院を探し回った結果、「良い病院(または理学療法士)に出会う事ができた」と思っている方や、「長い間痛みに耐えてきた」という自負のある患者です。

このような方は、辛かったかもしれませんが、以前の状態でも日常生活を送れていました。(送れていたはずです。)

しかし、辛かったという経験が、今後の不安を作りやすく、理学療法士の対応によって、さらなる不安を作ってしまいやすい患者像だと思います。

このような方々でも、実在するゴールがあれば、同シリーズ前回記事で解説したように進めていく事で、問題をクリアし、病院へ通う必要がなくなると思うのですが、患者のイメージしているゴールが実在しないかもしれないとなっている場合は、先ほど挙げた危険性は非常に高いものになります。

「実在しない」というのは、あくまでも現時点での話しであって、可能性がゼロという事ではありません。

そして、「実在しない」というのは、色々な手を考えてやってみても何ら改善を示さないという場合です。しかも、その時に言える事は、「私との治療関係の先には、担当患者のゴールが実在しない」というだけかもしれませんので、この点は注意して下さい。

しかし、改善させきれないにも関わらず、自身が治療する事に拘り続けた結果、病院漬けとなってしまう患者がいる事を理解しておかなければなりません。

治らないからといって、病院・治療院を自ら変える患者はまだ良いですが、最初に挙げた「今まで良い病院に出会えなかった」と思っている患者は、治っていかないにも関わらず、この人の治療を受け続けるべきだと信じ込んで、ずっと通い続ける事になります。

治療見学に行った事がある病院で見た光景ですが、10年間も整形外科クリニックのリハビリテーション科に治療を受けに通い続けているという方がいました。

この患者は、担当セラピストを信頼しきっていて、「この先生じゃないと私はダメです。」と私に担当理学療法士の事を自慢し、担当理学療法士に向かって「先生、私を見捨てないで下さいよ。」と笑いながら話しかけていました。

それ以降も、何度か関わり合いのあった病院とその理学療法士でしたので、それ以降の事も多少わかるのですが、想像に難しくないと思います。

私の価値観を伝えるための記事ではないので、それもありだとします。しかし、できるだけ自立でき、必要以上に病院へ通う事は避けるべきと思うのが一般的だと思いますので、それを前提に話を進めます。

 

このような状況になるきっかけは、最初のゴール設定に一因があるかと思っています。

徒手療法による介入はセラピストが丁寧に症状を聞きますし、患者からすると特別な治療を受けている感が出ます。セラピスト側の知識も比較的豊富ですので、患者から来るあらゆる質問にも、何かしらの「答えらしく聞こえる返答」ができる人がほとんどだと思います。

すると、患者は過度な期待と、このやりとりの中で自身の持っている不安が軽減している事に無意識的にでも感じています。

何かあれば、すぐセラピストに質問をする患者はその傾向があります。昨日あった、本来であれば心配に及ばないはずの事も、例えば「ふくらはぎの筋肉がピクピクって勝手に動く事がありました。これは病気ですか?これは腰痛と関係がありますか?」などです。

これに関しては、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないとしか言えないはずです。しかし、この質問をされた理学療法士は専門的な答えを期待されていると自分自身を追い込んで、「それについては、わかりません。」という返答がなかなかできず、専門用語や専門知識を引っ張り出して、丁寧に説明してあげたくなります。

今行っている、治療的行為を止めてまで、そのやりとに集中してしまう事もあるかと思います。

繰り返しになりますが、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」という事以上の話はできないはずです。

患者の依存状態を作ってしまう背景にあるのは、「徒手療法によって症状が治る」と患者と理学療法士の双方が思ってしまっているところにあると思います。

私自身は、徒手療法は、全ての症状を治す偉大な治療法ではないと思っています。中には、このような事をうたうセミナーなどもありますが、私はそのようには思えません。

そして、その徒手療法の一部を扱っている個人の理学療法士が、徒手療法で治療できる全てを治療できるわけでもありません。

徒手療法に関わるセラピスト本人がこの事を自覚しなければ徒手療法は、魔術じみたインチキ療法や新興宗教と同じカテゴリーになってしまいます。

もし、現時点で改善するという変化がなく、ある程度の期間がたっているというのであれば、この先の治療予後は、ほぼ現時点と同じ状態の継続と考えていいと思います。

ここで取り組むべきは、この予測できる問題を未然に防ぐ事です。

ここまでの期間に、自身が考えられる事を一生懸命やってきたと言えるなら、これから先は徒手療法による改善を求めた介入ではなく、「この状態が持続するかもしれない。少なくとも私の治療によっては改善は期待できない。」という事を患者に理解・整理してもらう事の方が大事だと思います。

しかし、今まで信じてきたセラピストに「見捨てられる感」が生まれやすい所なので、ほとんどの理学療法士はこの方向へはいけず、ついつい無意味とわかっている治療をなんとなく続けてしまいがちです。

この問題を起こさせずに、改善がみられないまま治療終結へ向かおうとした時に、それが可能かどうかは、治療に取り組んできた「それまでの期間」の質が左右するように感じます。

これがどういう事かと言いますと、

その判断に至るまでのプロセスが、理学療法士・患者ともに、この問題を解決するためにあらゆる事を考えて取り組んできたという自負がない状態で、治療終結に向かう事についての「見捨てる感」「見捨てられる感」を感じさせない事はできないという事です。(セラピスト自身も見捨ててしまったという落ち込みを生んでしまいます。)

このプロセスを歩んだとしても、やはり、まだ心のどこかで「治らなくても治療に通い続けたい」と思ってしまうものですが、この治療に取り組んできたという自負が患者自身を助けるものだと思います。

「セラピストの力量で取り組むべき事は全てしてきた。」と理学療法士自身が言える状態である事と、患者が「この先生は、ここまで一生懸命考えて治療にあたってくれて信頼できるセラピストだ。」と思える事ができた時に、治療効果としては無意味だったかもしれないけど、「この問題に取り組んできて良かった」という感覚が出てきます。

「ここまで一緒に頑張ったけど、それでも治らないのなら、あまりこれに拘りすぎない方がいいかもしれない」と患者自身が自ら前を向いていけると、私自身は経験しています。

 


日々の臨床のクリニカルリーズニング能力を高め、1人1人の患者について何が効果的かについての一生懸命考える事を怠らなければ、それで治せなかったものについては、良い意味で諦めがつきます。

これらの患者については、未解決症例として、保留にしておけば良いと思います。
似たような経験を通して、もしかしたら自身が診れる症状の一つに入るかもしれません。(「未解決症例についての対応」というテーマでいずれ記事にしたいと思います。)

今もこの言い方するのかはわかりませんが、「障害受容」という言葉があるように、症状の中には、現時点での医学や徒手療法ではどうにもならないものもあります。

それを、治療する前から、「これは治りません。症状を受け入れて下さい。」と言われた患者はドクターショッピングならぬ、セラピストショッピングの道に走り、もし、自身の不安を解消してくれる事を言ってくれるセラピストに出会ったら、今度は依存するようになります。

リハビリテーションの考え方からは、まったく逆の展開になってしまいます。

自分に照らし合わせてもわかる事だと思うのですが、ただ「治りません。」の一言では、患者は諦めがつくはずもないので、前述のような経過を辿りやすくなってしまいます。

ですので、理学療法士としては、「徒手療法が治せないものがある事」、「自身の技術では治せないものがさらに多い事」を自覚した上で、

セラピストショッピングの結果、この病院に訪れたと思える患者や、自身の経験上で治療が難渋すると予測される患者については、最初の時点で、

「この症状は、正直に言うと治りますよとは言いえないのが実情です。」

「しかし、まず治療に取り組んでみて、改善が見れれるかをみていくというのはどうでしょうか?」

「もし、改善がみられない場合は、徒手療法(こう表現するかは別として)の適応でないという事が、その時にわかります。これについては確認してみないとわからないので、一緒に取り組んでみませんか?」

と提案します。

治療を開始した理由が、「治すため」ではなく、「徒手療法の適応があるかを確認するため」という形になっています。それで、改善する方向に行けば、結果オーライですし、改善しなかった場合に話さなければならない事の布石を置く事ができます。

また、最初は良くなるだろうと治療行為が開始されたが、経過を通して一切の改善がみられないという事に途中で気付いた場合は、

今まで取り組んできた事を丁寧に振り返りながら説明した上で、「もう少しだけ、徒手療法による治療の可能性を探っていきます。しかし、今までの経過からもわかるように、簡単に治療できるものではなさそうです。残りの何回かの治療を通して、治療の可能性を探っていこうと思うのですが、如何ですか?」と提案します。途中からとなっていますが、これが先ほど挙げた「改善しなかった場合に話さなければならない事の布石」となります。

この布石を置いておく事で、治療集結へとゆっくりですが進めていけると思います。

ここまで長々と書いておきながら、「ゴール設定」と明確にできるものはありませんが、「ここまで一緒に頑張ったけど、それでも治らないのなら、あまりこれに拘りすぎない方がいいかもしれない」と患者自身が前を向いていけるようにする事が、こういう状態に陥った、もしくは陥る可能性のある患者のゴールだと思います。

(ここで、この取り組み方の例まで出すと記事の長さが異常になってしまうので、ゴールとしているものを示すだけとします。)

これを患者と共有するかについては、患者の個人的要素もあるので何とも言えません。これが、難しいと思う方は、治療効果を検証する為に、1〜2ヶ月程度の期間を空けて、もう一度だけ来院するように説明します。

そして、期間を空けてみたけど、症状そのものの悪化(程度の差はあっても、一旦治療を中止し、1〜2ヶ月程度を理学療法士を頼らずに生活できているはずです)は見られていない事を話し合いながら、「徒手療法が症状の改善に貢献しなかった事」と、「徒手療法を止めても症状の悪化がみられていない事」、「治療を受けていないにも関わらず調子の良い日があった事」、「理学療法士を頼らずに生活できていたこと」を自覚させていき、治療が必ずしも必要でない状態という事を理解してもらう事もできます。

(徒手的介入を通しての心理療法じみた介入も必要になってくると思います。個人的には徒手的心理療法という一分野があってもいいのかなと思っています。)

改善がみられない患者のゴールを治療集結へと進めきれないのは、どちらかというとセラピスト側の問題が大きいかと思います。この改善させきれない事に納得し、治療者が担当患者を「精神的不健康」や、「他者に依存する事」、「病院漬けにさせてしまう事」、に注意して、今後の患者本人の生活が痛みに囚われすぎないで、前向きに生きていけるという事について協力すべきだと思っています。

「10年も通って頂いている」、「遠方に転勤したけど、それでも通ってもらっている」というのは自慢できるものではありません。その患者の精神的な健康状態をセラピストの関わり方で悪化させてしまった究極の現象だと思います。

 

最後に

こういった問題は、治療者としては絶対に取り組まないといけない問題のはずなのに、講習会などで習うのは「良くなっていくパターン」の患者像についてのみです。

(もし触れるなら、心理的な問題がある患者には認知行動療法が必要です。みたいな事を簡単に言う先生が沢山います。今後このブログが発展していくならこの分野についても記事を書いていきたいと思っていますが現時点では未定です。)

ブログで扱うテーマとしても正直、非常に扱いにくいです。使用する言葉を間違えると「治療者のくせの治療を諦めるのか?」「治らないって、何を根拠に言っているんだ!」とお叱りを受けるような事にもなり兼ねませんし、本来意図していない解釈や誤解を招く恐れもあります。

しかし、これは徒手療法を用いる治療者としては、絶対に向き合わないけない事であると思っています。それで、この記事書くに至りましたが、この内容は現時点での私の臨床を表現しているものとなっていますので、今後変化が生まれる可能性もある内容です。

また記事の内容に納得のいかない方がいましたら、「こんなヘンテコリンな事を堂々と言うやつもいるんだな」程度に留めておいて頂けたら幸いです。

上記の事を意識してして書いた事により、いつも以上に長々と読みにくい文章となってしまいましたが、最後まで読んで頂いた方は、ありがとうございました。

※この記事は、日常生活を送りながらも症状に困っていて、一般の整形外科クリニックや治療院などに通っているという患者像を想定しています。全ての患者に当てはめて考える事を意図していませんで、その点についてはご了承下さい。

次の記事→ 4.再発可能性のある患者のゴール設定と、その取り組み

 

 

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